『夕暮れ時』



 休み明けの事務処理が多いのはいつでもどこでもそう変わるもんじゃない。そもそも副官なんて、隊の補佐が仕事の基本だ。細々とした決めごとや承認、署名、諸事打ち合わせ。要するに何でも屋だ。切り盛りの為必ず誰かがやる必要があることだ。
 とは言ったものの、このこんもりとした書類の山は何なんだ?
 昼を過ぎてもちっとも減った気がしねえ。最近富にこの手の仕事が増えているのは俺の気のせいじゃないだろう。
 ルキアと付き合ってます宣言をした時、似たような状況がしばらく続いたことがあった。原因は明らかだけど、普通は義妹の幸せを考えてくれるもんじゃねえのかね?
 そうぼやいても山が無くなる訳も無し、ため息混じりに一人ごちて俺は作業に取りかかった。
 窓から入る春の日射しは柔らかでついつい眠気を誘う。だからその大きな声には慌てて筆を落とすところだった。

「失礼しまっす!」
「うおおっ! 理吉てめ、声でけぇよ!」
「あ、すいません…… でも副隊長は集中したら自分が行っても気付かないだろうから、しっかり声を掛けろと言われて」
「何?」
 どんな新手の嫌がらせだと思いながらもその顔をまじまじと見た。
「進捗状況を伺います。 ……で、その後要副官決済事項を最優先に済ませ、作業を引き継ぐよう指示されました」
「誰に」
「隊長にです」
 隊長?
 ……俺がここんとこ明るいうちに帰れない原因をたっぷり山積みにしてくれる朽木隊長のことだよな。どういう風の吹き回しだ?
 俺の疑問を尻目に、理吉はてきぱきと仕分けをしだした。
「これは処理済みですね?」
「あ、ああ、そっちは終わりだ。これは余所に回す分で 今読んでるのが承認事項有り」
「分かりました。じゃあ俺はこっちを」
 理由は分からないが仕事がはかどるのはとにかく有難いことだった。あの指示は間違いだった、何て話になる前に片がつけば儲けもんだ、と思いながら、俺は幾つかの束を渡して自分の作業に没頭した。

「阿散井副隊長……」
 問いかけられて顔を上げると、やや呆れた表情が目に入った。
「本当に今までこの処理やってきたんですか?」
「やるもやらねえもねえだろ? 目の前にどかんと出されるんだからよ」
「……もっと下の者に回して下さい。でないと」

 この量はむちゃくちゃです、という言葉には妙に納得した。
「これとかこっちは他の者で済みますし」
 書類を持ちながら理吉が笑った。
「もっと采配振るって下さいよ〜。俺らの出番無いじゃないスか」
「ありがとよ。そうさせて貰うぜ」
 問答無用でやれと言われた事にムキになって、そんな考えは頭に浮かばなかった。自分も相当かっか来てたんだなと振り返って笑った。俺も隊長も、ルキアが絡むといいとこ大人げねえもんだ。

 気分が変わると自然手が早くなる。理吉の言う要副官決済事項をどんどん済ませていくと幾らも経たないうちに机上の小山は綺麗さっぱりと姿を消した。
「よし、と! これで全部目ぇ通したな?」
「はい、後は俺らに任せて下さい」
「……任せて俺はどうすりゃいいんだよ?」
「直帰と聞いてますけど……」
 何で俺が聞いてねえんだよ! と叫びたかったが部下にぶつける訳にもいかずその言葉を飲み込んだ。その顔がかなり凶悪だったようで理吉の奴は目の前で見る見る白くなりやがった。
「そ、それじゃあ申し訳ありませんが、この余所に回す書類を直帰のついでにお願いします! 後は引き続き俺がやりますから!」
 よけてあった纏まりをぐいと手渡され、早々に俺は部屋を追い出された。
 ……大した荷物もないからいいけどよ。一息吐いて書類に目を遣ると、届け先はご丁寧にも十三番隊だった。有り難過ぎて涙が出そうだ。



「確かに受領しました」

「………ルキアは元気ですよ」 
 仕事より明らかに違う事を聞きたげな六つの瞳に囲まれて、俺は話をそっちに振った。とたんに集まった顔が輝きだす。
「そおかぁ! 朽木は元気か。良かったなあ!」
「あの細っこい躯でお母さんなんてちょっと心配じゃない? 気になってたのよー!」
「朽木の屋敷で世話になってんだから滅多なこと無いですよ」
「や、俺ら産休に入ってから暫く顔見てないし、あそこじゃ見舞いってもなかなか……ねえ!」
 そう、なかなか返してくれねえんだ。そんなに義妹が可愛いか? いや聞くまでもなく可愛いんだよな。それが増えた日にゃ……手に負えねえや。で、こっちは仕事三昧ってのはどう考えても理不尽だけど、母子の身体の為にって言われりゃその通りだし。
 そこまで考えてふと気付く。この直帰の理由――――
「すいません! 俺急ぎの用事があるんで!」
 きょとんとした三人を残して俺は隊務室を飛び出した。六番隊を出た時は眩しかった陽が傾き、その光は茜に色を変えていた。
 そうだ、何で気が付かなかった。隊長が教えてくれる訳が無い。
 家にルキアはいない。だから俺もいない。何時帰ろうが同じだから構いはしない。俺が帰るのはルキアがいるからだ。だったら――――
 家が見えた。朽木の屋敷とは比べようも無い質素な造りだがあいつは好きだと言ってくれた。
 朝は無かった洗濯物がはためいていた。やっぱり……戻ったんだな、と頬が緩む。
 でも待てよ。こんな夕暮れになってもそのままってのはどういうことだ? 忘れてるなら笑い話で済む。一人で何か無理な事でもしたのか?
 知らず足が早くなった。玄関に鍵は掛かっていない。草履を脱ぐのももどかしく部屋に上った。
「ルキ!……ア?」

 部屋の中は一面の布団だらけだった。夕日に紅く染まるその一つに手を当てると、日の光を十分に吸った柔らかさと暖かさが伝わる。その真ん中で丸くなって眠っている小さな愛しい生き物が二つ。
 漆黒の髪と紅の髪をそっと撫でた。

「……おかえり」

 ほんとは力の限り抱きしめたいとこだけど
 幸せそうな顔で寝てるからな。
 





→『寝顔に…』