『その姿、その心』
「このまま?」
「お前どっちにしろ躯洗わなきゃなんねえぞ」
「それはそうだが……」
「だったら今着替えても意味ねえって」
言われていることはその通りなのだがやはり抵抗があった。
「……こんな格好、目立ち過ぎだ」
「抱えりゃすぐ着く、分かんねえさ」
私の言葉を背中で聞きながら、恋次は荷物を手早く纏めた。
「よし、戻るか!」
渡された荷物と一緒に私は無造作に抱え上げられる。
「う、わ……」
もう少し丁寧に扱え、と言いたかったが来た時と同じで、
私は言葉を発する余裕さえ与えられない。
胸元にしがみついているとぽつり、ぽつりと恋次の呟きが聞こえた。
髪にも潮ついてんな
やっぱそっちもいいじゃねえか
でも相変わらずだ
リボンと髪一緒に結んでるぞ
返答出来ないと分かって、言いたいことを言ってくる。
悔しい。
私だって聞きたいことはあるんだ。
この水着はお前が選んだのか?
撮影って結局どうなったんだ?
何時髪飾りを買いに行った?
戻ったら
お前の家に行くのか?
最後の問いだけは、口に出さなくても答えが出た。
「着いたぞ」
固く瞑っていた目をそっと開くと、恋次は片手で器用に鍵を取り出して差し込むところだった。
もう下ろせと訴えても腕の力は緩まず、抱えられたまま私は部屋の中へと招き入れられた。
人気の無かった部屋は少し熱が篭っているようでじんわりと汗が滲んだ。
今まで何度か訪れた限りでは、恋次の家はきちんと整頓されていた。何せ独り暮らしで物が少ないから散らかりようも無い。
せいぜい瀞霊廷通信が二、三冊おいてあるくらいだ。なのに今日は何時もと様子が違った。
「悪いな、ちょっとごちゃごちゃしてるけどよ」
大小様々な包みや袋、箱が床のかなりの場所を占めていた。
恋次は私を小振りの机の前に降ろすと、手当たり次第に物を集め一番大きな箱に無造作に突っ込んで場所を作った。
その箱はと言うと、襖を開けて隣の部屋の壁際へ押し付けただけだ。解決にも何もなってやしない。
「風呂用意するから待ってろ」
熱くしねえからすぐだ、と言って恋次の姿が視界から消えると、私の意識は襖の向こうへと引き寄せられた。
あれは何なんだろう。私から隠して遠ざけるように仕舞われたもの。粗雑に扱われた沢山の小間物たち。
あまり褒められたものではないなと思いながらも、私は主の居ぬ間に襖に手を掛け、隣の部屋をそおっと覗いてみた。
箱は襖から二歩進めば突き当たる場所で口を開けていて、中身は簡単に確認出来そうだった。
私が気にしすぎなのだろうか。
今の姿を恋次に見られるほうがよっぽど恥ずかしいかも知れない。
戻ろう、と思った時、視界の隅に見覚えのある模様が映った。
ああ、この千代紙は髪飾りの店だ。やっぱり買いに行ったんだ。これがここにあると言う事は最近のことだろう、よく残っていたものだ。
思わず振り向いて手に取ってみると、柔らかな和紙の手触りに笑みが零れた。ここはこんな細かな心配りが心地良い店だ。
品物も可愛いが、変わらないものならここで買いたい、そう思わせてくれる。
恋次に言わせると『重箱の隅をつつくようなことで喜んでる』らしいのだが、これは男には分からない楽しみだ。
そんな店で、似つかわしくないあの男はどんな顔をしていたのか。
思いを巡らせているとかさ、と音がして和紙の間から二つ折りの紙が落ちた。
やや皺になっているが、機械で打ち出した文字と数字が透けて見える。内容が分からなくてもこの店のものではないことが明白だった。
拾い上げて開くと無機質に黒い字の、整った一覧が目に映る。
納品書 技術開発局
部屋の温度がすうっと二、三度落ちた気がした。いや、下がったのは私の体温だろうか。
その文字を目にした途端何もかもが熱を失った。記憶にある限り、此処に関わるとろくな事にならない。
結果的に助けらたり、事態が良い方向に収まったとしても、私にとってはあまり思い出したくないことが多すぎる。
それは恋次も十分承知している筈だ。なのに、何故こんなものが此処にあるのか。
今まであった散々な出来事が頭を駆け巡り、軽い眩暈に思わず額を押さえた。震え出しそうな手をどうにか宥めて、
息を大きく吐いてみた。そうだ、落ち着こう。これがあったから何だというのだ。仕事上必要なものかもしれないのだし。
そう自分を納得させようと呟く言葉も、続けて書かれた品名にあっさりと押し退けられた。
特殊繊維使用簡易屋根
特殊繊維使用水泳着
保護剤日中用
何だこれ。水着まであそこのものなのか?
そう思うと急に、何か仕込みがあるのではと不安が押し寄せ、自分の胸元をじっと見てしまう。
今まで身に着けていたのだから今更と言えば今更なのだが、どうにも居心地が悪かった。
文字の羅列は更に続く。
汎用超小型撮影機
汎用超小型通信機
汎用小型IC制御玩具
白 桃 黒 球 双
保護剤保湿用
潤滑剤洗い流し不要
買い過ぎだろう!
全くあそこは、どうしてこんなわけの分からない物を売っているんだ? 研究費でも足りないのか?
そういうことは隊首会にでも回してほしいものだ。でないとしわ寄せがこっちに来るではないか。冗談じゃない。
使い道が不明なものもあるけれど、多分知らない方がいいような気がする。間違いない。
「……おい」
不機嫌な霊圧を察した声が、いつの間にかすぐ後ろまで来て私に呼びかけていた。
一呼吸置いて振り向いた私は一体どんな顔をしていただろう。
「見たのか、それ」
手の中の紙や広がった包みを見て、恋次が参ったなという表情をした。「あのよ」話そうとする言葉を遮って私は大きな声で喋り出した。
出来るだけ普通に、出来るだけ明るく、いつもと変わらないように。
「凄いな、副隊長殿は! こんなに大量に買い物をしても大丈夫なんだな!」
「今日も仕事だったしな。恋次はよく働いているよ」
先程の霊圧とは裏腹な態度と言葉に、恋次はどう反応すれば良いか迷っているようだった。
「この髪飾りもわざわざ買ってくれたんだろう?」横を向き髪を結ったそれを見せるとああ、と短く返事が返ってきた。
「撮影って言っても結局私の水遊びで終わったし……その、思ったより楽しかったし」
「……ありがとう、って言おうと思ってたんだ」
「だけど」箱の中の色鮮やかに印刷された小冊子を手に取った。
「これは何だ?『隠密鬼道衆用に開発された超小型撮影機を、機能そのままお手頃価格でご提供!』」
「うぉあ! んなもん入ってたのかよ!!」
「お前が買ったんだろう? 知らない訳無いだろうが!」
悔しい、悔しい、悔しい。本当にそう思っていたのに、こんな落とし穴があるなんて。だから技術開発局なんて関わりあいになるもんじゃないんだ。
「待て! 俺じゃない!! これはだな」
「うーるーさーい!」
「話し聞けって!」
「黙れ、この盗撮男が〜〜〜〜!!」
「な……おい! 違うっつってんだろ!!」その語調の強さと腕を掴む力に、思わず身が竦んだ。
揺れる躯に気付いた恋次が「……悪りい」とだけ呟いて手を放す。
「頼むから、ちょっと落ち着け」そう言って頭に乗せられた手が大きくて、温かくて、自分が独りで駄々をこねている子どものように思えて、目の奥が熱くなった。
そのままその場にへたり込む。俯いていれば顔は見えないだろうか。
「お前、その納品書終わりの方まで見たか?」
言われてよく見ると、それは二枚が重なっていて、下の紙の半ばまで文字が書いてあった。
黙って頭を横に振ると恋次の口元が緩む。
「……だろうな。ちょっと此処読んでみ?」
指差された箇所を黙って目で追ってみた。『……以上20品 計 79,800環』
眉間にしわが寄った。これが何だというのだ、と思ったのが筒抜けだったようで「その先だからな」と念を押されてしまった。
『但し、使用後質問に回答し調書作成、提出時は其の代金を全額返還する。旨使用に関しての情報一切は技術管理局のものとする。』
「……全額返還しか分からん」
「要するにモニター品ってことだ。使って確かめて調書出せば金はかからねえ、但し口外するなって事で、最初に預かり金みたいのが掛かるんだと」
「ちょっと待て、そしたらお前、これ全部使うのか?」やたら高い代金に関する心配は一応収まったが、代わりに新しい疑問と不安が沸いてくる。
「んーそれだよなあ……俺こんなに頼んだ覚えねえんだわ」
「へっ?」
「口外するなってくらいのもんだから、それなりのところから話が来るんだ」一番上を指差して恋次が話を続けた。
「そん時はコイツだけだったんだ。いいだろ?簡易屋根。外で飯食ったり昼寝すんのによ」
「う……ん」
「で、申請に行った時、同じ素材だってこっちの水着見せられた」
話がほんの少し繋がって、思わず顔を見上げた。
「特殊繊維ってなあ、かなり光線を遮るらしいな。風呂敷みたいな見本でも被ったら涼しかったし」
「そんな格好を?」恋次らしくて、つい笑みが零れた。
「それしか出来ねえだろ、布切れなんだから。あん時も暑かったなあ」
私の表情が和らいだので、恋次もこちらに笑い返す。
「で、そいつが水着をしつこく勧めんだ。最初は適当に流してたんだけどよ」
「お前」恋次の指が首筋のリボンに触れた。「これ嫌いじゃねえだろ?」
「……これが悪くないのと、お前の買い物が怪しいのとはまた別問題だ」
「怪しくねえって。それに」恋次は私を見ながらふん、と鼻で笑う。「どっちかってえと好きな方じゃね?」
「だから、それとこれがどう関係あると……こら!」
ゆるゆると触られて結び目が力を失ってきた。その開放感が逆に私を強張らせる。
「関係ねえんだよ」
「俺は日除けの屋根持って海に行けりゃそれで良かったんだ。
だから頼んだのはこの二つだけ、後は知らねえもんばっかし。ああ、保護剤はあん時サービスとか言ってたな」
「知らないって、お前」
「他にもサービス品入れときますって言われたけど、普通そんなの金取らねえだろ?」
この辺なんて見た覚えもねえよ、と話す口ぶりからはごまかしは感じられない。
どうやら本当に押し付けられたもののようだ。
「じゃあ……この『汎用超小型撮影機』ってのも覚えが無いんだな?」
「そういやテメー、さっき人を盗撮男とか呼んだよなあ」恋次の目がすうっと細くなった。
「だっ、て! 話の流れだと、そうなるじゃ、ない……か」
水着撮影って言ったんだぞ?
着替えさせたんだからな?
居なくなったと思ったら知らないうちに帰ってきて、声もかけずに見てたって、そんなのどう考えても変だろう?
心の叫びとは反対に、口から出る声はだんだんと小さく途切れがちになった。
「撮影すんなら堂々とするって。隠れて撮る必要がどこにあんだよ」
そうだ、そんなことは恋次の性には合わない。分かっているのに、私は。
「それと、勘違いすんなよ? 俺はお前のいつもと違う姿が見たかっただけで、撮影がしたい訳じゃねえから」
「……あれだけ言っといて」
「おもしれえからな、お前の反応は」
またいいようにされているのか。軽い脱力感に襲われながら、私は恋次をただただ見つめ続けた。
ふ、と口元から漏れる溜め息と、困ったような笑いで絡まる視線が途切れた。
「だからよ」
あっと言う間もなくリボンがはらりと落ちた。次いで首筋に感じる熱いぬるりとした感触。
「まずテメーは風呂な」
「や……!」
思わず身を捩ると耳元で呟かれた。
「潮味だ。洗ってやるか?」
「いい!」
「なら行け」こっちも解くぞ、と下に移動する手を避けて慌てて私は立ち上がる。
「自分で、する」
睨みつけても熱を持った頬では意味が無いのは分かっているが、
これが面白いとからかわれる素なのは知っているが、どうしようもない。
胸元を押さえながら後退りで奥の風呂場へと移動した。
一人になっても熱は引かない。
陽射しと、恋次のせいだ。今日はこんなことばかりが続く。
温めに用意すると言っていた通り、人肌よりやや高めのお湯が張られた湯船に躯を預けて、私はぼんやりと朝からの出来事を振り返る。
結局は、撮影という言葉に自分だけが振り回されていたということだろうか。
戻ったら恋次にちゃんと謝らないと、そう思いながら潮に曝された髪と躯を洗い流した。
肩に触ると僅かな刺激が走るのは、リボンを引っ張られた時の分。
首筋が熱いのは潮味と言われたせい。自意識過剰もいいところだ。
「莫迦だな……」
そんな言葉が唇から零れた。
滴の落ちる躯で風呂場から出て、初めて着物が無いことを思い出した。
そうだ、水着のまま此処に来たんだ。私の着物は包みの中で一纏めになったままだ。タオルで髪を挟み、水気を取りながら思案を巡らせた。
今から持って来てもらうくらいなら、自分で取りに行く方がいいだろう。ここで叫んで頼むのは気が引ける。
だけど、あの包みはどこに置いたんだっただろうか。タオル姿で時間をかけて探したくはないのに、家に着いた時の記憶がどうにも曖昧だ。部屋で座った後、私は何をした?
手繰り寄せようとしていた糸は、がらがらと戸を引く音でぷつりと切れた。
「恋次?」
「上ってんのか? 襦袢置きに来た。他は皺になったから向こうに吊るしてあるぞ」
「そう、か」思いがけない届け物に、言葉が詰まる。
僅かな間の後、戸がから、と動いて「ほら」と腕一本分の隙間から衣が差し出された。
「ありがとう……済まなかった」
「ああ? 何改まってんだよ」
「いや、これだけじゃなくて、今日は、その、色々」
「……撮影する気が全然無かった訳じゃねえけどな」
襦袢を受け取る指先が触れる。
「目の前に居るんなら本物の方がずっといい」
こういうのは困るんだ。
私は怒っているのか、喜んでいるのか
お前は嘘吐きなのか、正直なのか
自分は恋次を まき込みたいのか、まき込まれたいのか
分からなくなってしまう。
いつの間にか戸は全開になり、目の前には不敵な笑みの大男が立っている。
「んなんで固まるなって」
「れんじ……」
「真っ赤だぞ。冷やして薬塗らねえと」
「そう、する」
「あと、ちょっと頼みあるんだけどよ、聞いてくれるか?」
「ん……」
「手伝って貰いたいことあるんだわ」
「私に? 出来ることか?」
「……て言うか、お前じゃねえと」
「う、わ!」言い終わらないうちに足が床から離れた。「出来ねえよ」
躯が襦袢ごと恋次の腕の中に納まった。タオルが緩んで肌蹴そうになる。
「さっき技術開発局に連絡したんだ、いらねえもん返すって。そしたら『一度外に出したものは報告付きで返ってこないと困る』だと。」恋次の笑みと、私の眉間のしわが深くなる。
「レポート無しは代金が発生します、って。勘弁してくれって言ったら報告付ければ良いことですからって切られちまった」
「……嬉しそうに言うな、莫迦!!!」
「お前にしか出来ないだろう?」
本当に困るんだ。
怒っているのか、喜んでいるのか
まき込みたいのか、まき込まれたいのか
分からない。
あそこに関わるとろくなことにならない
やっぱり今日はどしゃ降りの方が良かったんだと思った。
end