『手』
「待ってて終わる量なのか、これは?」
「……終わらせる」
半ば書類に埋もれている紅い髪を見て私は小さなため息をついた。仕事が山積みなのは 兄様の指示らしい。隊長命令では仕方がないとは言え、最近似たような事が多く辟易していたところだ。
先週など、待ち合わせ場所に着いて言葉を交す前に伝令神機が鳴り、奴は泣く泣く引き返していったのだ。
二人で逢うことを邪魔しているとしか思えないのだが、私達はその予定を他人に話した事は無かったから、何故こんなに都合良く仕事が入るのか不思議ではあった。
だから今日、私は予定より若干早く仕事を終え、奴の様子を覗くのに六番隊に向かった。私が隊を出る少し前から、隊首会が始まっているはずである。仕事でもなく其処を訪ねるのは気が引けたので、兄の不在は有り難いことだった。
そして副隊長室の扉の向こうで見たのは、絶句するしかない光景だった。ちょっと待っててくれと言う恋次に、私は諦め半分で答えたのだ。
待つ間私は恋次の手元を見ていた。固く、関節が浮き上がった手が書類を次々と片付けていく。このような仕事は苦手だと思っていたが、案外器用なんだなと妙に感心した。考えてみれば、副隊長という地位に腕っ節だけで就ける訳が無い。一体どれだけ努力したというのだろう。
この手は、いつも私を助けてくれた。みなで寄り添っている時から二人きりになった時、道が別れたと思った時でさえ、大きな手の温かさはいつも胸にあった。
お前が『放さねえぞ』と言い切った時、私も『この手を放したくない』と素直に思えた。筆を執る手も、斬魄刀を構える手も、この身体を包む手も、放したくない、総て私のものだ。そう思うと、普段見ない仕事中の姿が分かるこの待ち時間も悪いものではない。
「……てめーは何ぼーっとしてんだコラ」
頭をわしわしと撫で回されて気づくと、いつの間にか書類の山は三分の一程の量に減っていた。
「終わりだ。行くぞ」
肩にぽんと右手が乗った。きょとんとする私に向かって恋次は言う。
「残りは俺より上の承認が必要なもんだ。今どうこうできるってのじゃねえ」独り言のように呟く。「何でこんなのが回ってきてんだよ……」
「ほんとに終わらせたんだな、副隊長殿。すごいな」
「ああ?信用してねえのか?」
「してるさ、白玉餡蜜一杯分くらい」
「……食いたいだけだろそりゃ」
ほんとにすごいぞ、副隊長殿。今日は迎えに来ていいものを見た。それだけでも私は幸せだ。
「行こう」
肩に乗った手を取って私は歩き出した。