「どうした? もう食わねえのか?」
「うん……何だか何時もと味が違う、ような……」
そんなことがあるのか? と、恋次は殆ど手が付けられていない、ルキアが持ってきた定食にひょいと箸を伸ばす。うま煮を一口、二口と頬張り、続けて照り焼き、青物の白和えと止める間もなく手が進む。
それらを咀嚼しながら、恋次は汁物で全てを腹に流し込んで、ふうと一息吐いた。
「変わんねえぞ?」
その食べっぷりに唖然としながらも、ルキアはくすりと微笑んだ。
「そう……か。じゃあ、私の好みが変わったのかな?」
「おお、こんなに旨いのにどうしたんだ?」
ルキアを覗き込み、改めて恋次はその顔をじっと見た。その目が見る見る険しくなる。
「おい、お前……」
「え?」
「今日これからの予定は?」
「午後は、浮竹隊長の調査書作成補佐だが……」
「それ取り止めだ。ほら、行くぞ」
食事の途中で立ち上がる恋次に手を取られ、ルキアは思わず身構える。
「何だ、いきなり」
抵抗する躯に視線が刺さる。険しい顔が一層不機嫌になったのが分かった。
だが、こちらだって理由も言われず午後の行動を決められるのは心外だ、とルキアはそこから動こうとはせず、恋次を見つめ返していた。
「……分かんねえのかよ」
恋次の顔に困惑が浮かぶ。だがそれも僅かの間で。
言わないなら当たり前だ、という言葉はルキアの口から出た途端風に流されて、当人の耳にも届きはしない。
何が起こったか、理解するにはやや時間が必要だった。
抵抗と言っても、本気になった恋次に、ルキアのそれが通用する筈もなく、小さな躯は難なく硬い腕の中に抱え込まれる。周りの風景はすじ状になって遥か後方に消えていった。
「どこ……へ、行く!」
やっとのことで絞り出した言葉に、恋次は短く答える。
「着いてるから目ぇ開けていいぞ」
胸元を握り締めるのと同じ位の力で、硬く閉じていた瞼をそおっとルキアは開く。
「四……番隊、医務室?」
「まだ自覚無いのか」
恋次がルキアの頬に手を当てる。そのまま掌がするりと額まで移動する。ちりちりとしたものが指の跡に残る気がして、ルキアは思わず眉を顰めた。
「んっ、自覚……って」
「お前熱有るぞ。多分これからもっと上がる」
「え……」
「舌、何時もと違うんだろ? それに、今だって触ったら変な顔したし」
「そう、か……」
「体は正直だよな」
恋次の表情がようやく少し解れて、口元に笑みが浮かんだ。
先ず熱測ってもらえ、と恋次は医務室のドアを叩き中へ入った。ルキアがその後に続く。
検温はすぐに結果が分かる。ピピッと鳴り響く音で指し示された数値は
「37.4度……」
「ほら見ろ。お前は平熱が低いから、これ、結構高い方だぞ?」
「う……ん、見たら動けなく、なってきた」
「だろ? それにこんなんじゃ浮竹隊長の近く行けないだろうが!」
医務室のベッドが四番隊員の手でてきぱきと用意される。今のところ大した症状ではないが、躯は休めておいた方がいい、とのことでルキアは毛布に潜り込んだ。
性質の悪い風邪がじわじわと流行ってきている今時期、四番隊員も何かと気忙しく動いているので、ベッドの部屋には休む者以外は誰もいない。カーテンで仕切られて個人の空間になっているベッド脇には、小さな丸椅子が一つだけぽつんとあった。
恋次はそこに浅く腰掛け、ルキアと小さな声で会話をする。
「……ありがとう。もうお前は戻れ、昼休みが終わってしまう」
「大丈夫か?」
「大丈夫だ」
なおも心配する恋次にルキアは頼み事をする。
「じゃあ、お前が浮竹隊長に連絡をしてくれ。六番隊に戻る前に、な」
戻る、と自分で言ったその言葉が思いがけずルキアの胸にちくりと刺さる。
「報告前に連れてきたの俺だしな」
分かった、と恋次は壁に備え付けの時計を見上げて、時刻を確認する。休憩時間は残り十分程に迫っていた。ここから十三番隊に寄って報告をして、六番隊に戻るなら、ギリギリだろう。
「じゃあ、また休み時間に来るから」
そう言って、踵を返す恋次の袂を咄嗟に掴んだルキアは、自らの行動に驚き、目を見張る。頬が一気に紅潮したのが自分でも分かった。
恋次に「何だ?」と言われても、直ぐに返答が出て来ない。
「うつると、いけないから……そんなに来なくても、いい、ぞ」
下を向いて、ぽつぽつと喋るルキアに短い沈黙が降り注いだ。
どうして自分はこうなんだろう。
こんなことを言いたい訳じゃないのに。
漆黒の髪に大きな手がぽんと置かれる。
「……体は正直だな」
ルキアはそっと恋次を上目遣いで見上げる。
「この手、『行かないで』って言ってんじゃねえの?」
にやりと口角を上げる恋次に、頬の熱が首筋をも紅く染める。
ああ、そうだ。
本当はそう言いたいんだ。
でも。
「でも」
髪を撫でていた手が、軽くつむじを叩く。
「ここと、ここは正直じゃない。余計なこと考え過ぎだ」
ルキアの唇に柔らかな感触が触れた。
「どうしたいか、言ってみ?」
「れ、ん 、じ! うつるって、言ったのに……!」
目を白黒させるルキアの言葉には耳も貸さず、恋次はひたすら、願いを吐露しろと強請る。
「……眠るまで、ここに居てくれ」
「宜しい」
「報告はどうする気だ」
「伝令神機って便利なもんがあるじゃねえか」
「ほんとにうつったらどうするんだ」
「お前の定食食ったからおんなじだろ?」
「……莫迦は風邪をひかぬと言うしな」
「あ、てめーまたそういう」
「……ありがとう」
「……おお」
「……手を、握っていいか?」
「もちろん」
「……おやすみ」
「ああ、おやすみ」