『夜歩く』  この時間になると人どころか犬猫の一匹も居やしないのは、この辺りがある種の霊圧で満たされているからだ。 だが、伝わる波動は性質の悪いものではない。警戒の必要はなし、と判断して歩を進めた。 しんと静まり返った廷内で、聞こえるのは自分の息遣いだけだ。  定期巡回は格別普段と変わることなくその過程を終わらせていく。 もちろん何も無いに越したことはないのだが、平穏すぎる仕事は緊張感がだんだん欠けてくる。 これが何人かで組んだものならまた違っただろう。 だが、今恋次は独りで瀞霊廷内を見回っていた。  本来なら副隊長に回ってくるような仕事ではないのだが、禁固刑明けの身では何を言い渡されても仕方がなかった。 選り好みするつもりも無かったので二つ返事で引き受けたが、実際やりたがる者がいない理由も、ここ数週間の業務で十分に理解できた。  一言でいって『暇』なのだ。 この巡回は、元々一護達旅禍が侵入した時から始まって、次の大事に備えてと続いているものだ。 明らかな非常時ならともかく、事件と事件の合間では気の張りようもなかった。 だからと言って、平穏な日々が戻ったわけではない。火種はあちこちに転がっている、というのが上の方の方針だ。 それに逆らう必要も無く、この夜の巡回はひっそりと今まで継続されてきたのだ。  物音一つしない深夜は異質が良く目立つ。 気を張っていなくても、雑多な気配に紛れることなくそれを拾えるのはかえって良いことかも知れない、と恋次は思った。 もっとも、自分がその霊圧に気付かない事などありえないのだが。 「……何やってんだ」 「寝付けなくてな。散歩だ」 「徘徊かよ」 「……この道の一本向こうは朽木の敷地だ」 「お嬢様の出歩く時間じゃねーぞ」 「お前が見回っているんだろう?」  ルキアが恋次を見上げて笑った。 「なら、心配など無い」 「ん、まあな」 「……少し髪、伸びたな」紫紺の瞳が翳を帯びて俯いた。 「てめーは」 「きゃあ!」 「痩せてねーか? ちゃんと食って寝てんだろーな?」  腰に回った片手で抱き上げられて、ルキアは思わず声を上げる。 「この仕事一段落したら、じっくり調べてやるからな?」  愉しそうに笑う恋次の一言に、ルキアは耳まで紅く染めた。 「だから、帰って寝ろよ」 「……うん」 「痩せてたらお仕置き、な?」 「何だそれは! 莫迦者!!」  全身から火を噴きそうな色に染まったルキアは、恋次に背を向けて屋敷へと一目散に戻っていく。 その霊圧が建物の中に入ったことを確認すると、また恋次は巡回へと歩き出した。 短い会話を反芻して、手の中の重みを確認して。  別に世界がどうとか、上の命令がどうとかは正直どうでもいい。 『暇』な業務も、お前を護る為なら気合も入るってことだ。  夜はまだまだ続く。