「なあ、何が良いってずっと聞いてっだろ? ほんとに何が良いんだよ」
「だから、特に何も無いんだと言っているだろう?」
きつい表情で、お互いの視線が激しくぶつかる。だが、せっかく誕生日を祝う話をしている筈だったのに、睨みあう自分達が妙に滑稽に思えて、ふ、と二人の間の空気が緩んだ。
「……私は、お前とゆっくり過ごせたら、それで、十分なんだが」
そりゃあそうだ、と恋次は心の中で深く、深く頷く。
二人にとっては、誰にも邪魔されない時間と言うのは非常に貴重なのだ。何しろ回りには小姑や、野次馬がやたらと目を光らせている。下手をしたら、何が原因だったか分からないような大騒ぎにまで発展することも度々あった。
大人気ない、と言ってしまえばそれまでなのだが、何しろ根底にあるのが、ルキアへの過剰なまでの愛情だ。立場が違えば俺だって、いやいや、譲れる訳ねえだろう!
「……恋次?」
思案に耽って一人百面相を行う恋次の顔を、眉根を寄せてルキアは覗き込み、頬をぺしぺしと叩く。
「それじゃあ駄目……なのか?」
今まで数々あった辛苦を舐める出来事が頭を過ぎり、恋次の顔付きを険しくさせていた。
おいおい、こんな気持ちで過ごす日じゃないだろう?
「きゃ!」
自分に問いかけ、恋次は改めてルキアを抱きかかえて、向かい合わせに座らせた。
「駄目じゃねえさ。んじゃ出掛けるのは止めにして、ここでのんびりすっか!」
紫紺の瞳が不安の色をかき消して柔らかに微笑む。
「……たまにはこんなのも、良いだろう?」
そうだ、この顔を見れるんだから良いじゃねえかと思いながらも、頭の中ではあれこれと思索をしているのだが。
恋次の自宅はそう大きくは無いが、快適に暮らす為のものは一通り揃っている。ばらばらの食器の中に紛れ込んだ、厳つい男には似つかわしくないうさぎ模様の湯飲みはルキアが持参した物だ。
異彩を放っていたアイテムが一つ、また一つと増えていくと、それらはしっかりと己の存在を主張し出す。
持ち主と同じだな、と顔を綻ばせる恋次に
「さて、喉が渇いたなあ!」
さっきと打って変わった威勢の良い声が突き刺さった。その変わり身の早さに呆れつつも、恋次は立ち上がり、茶を淹れる為に台所へ向かう。湯を沸かし、棚から取り出すのは、やはりルキアが最近好む柚子入り緑茶だ。封を開けると柑橘の香りが部屋にふわりと広がり、のんびりするには丁度良い具合だ。
「ほらよ」
「ありがとう」
「どう致しまして」
にっこり笑って言われたら、ついつい低姿勢でへりくだってしまうのは気質なのか、長年の習性なのか。
「何だ、この前の御奉仕がまだ抜けないのか?」
見上げて揶揄する口調に、うっと詰まった恋次はとっさの言い訳を口にする。
「いや、せっかくだからよ! お前が言えば何でもするぜ、ってことで」
「ふーん?」
「あ、何だその疑わしい目つきは」
「疑っているんだが?」
「あ、コノヤロ! 何か御要望はありませんか?」
「無い、と言ってるだろう……が、う、わ! この手は何だ!」
「日頃のお疲れを取るマッサージですが」
「莫……迦、止めんか!」
「何でもする、とは言いましたが、止めるのは範疇外ですので」
恋次の手は細い肩、背中、腰を満遍なく行き来して適度な圧迫を与える。初めは何事かと抵抗したルキアも、心地良い刺激に次第に身を任せ、躯が解れる快感を十分に味わっていた。
「……随分、固まっていましたよ? 日頃から緊張してますか?」
「そんな積もりは無いんだが」
自覚の無いままそんな状態になっていたのだろうか?
柑橘を好むのもそのせいなのか?と考え込むルキアの足首に、恋次の指が当たり、思わず口から小さな叫びが漏れた。
背筋にびりびりと刺激が走る。躯が解れる以外に、奥の芯が蕩けるような快感が交錯する。
汗がどっと吹き出て、体温が一気に上がるような気がした。
拙い。やっぱり恋次のペースじゃないか、と思いつつもそこから抜けられない。
「や……め……」
「さっき止めるのは範疇外って、言いましたよね?」
やっとのことで口にする言葉もあっさりと退けられ、節くれだった指は、それとは対照的な繊細さでルキアの下肢をゆっくりと這い上がる。
「恋、次!」
「はい?」
「も……う」
「何でしょう?」
日頃いい様に自分を弄る指の、もどかし過ぎる動きに痺れを切らして、ルキアは潤む目で恋次にせがむ。
「言えば何でもしますよ?」
爽やかに笑って告げる言葉の意味を理解するのに、ややしばらくかかってしまったが。
この男は 全くこの男は!
「たまにはこんなのもイイだろ?」
効果は無い、と分かっていてもルキアは思い切り恋次を睨み付ける。
それがますます恋次を煽るとは気付きもせずに。