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抵抗するのは止めておいた。相手は普通の人間だ。その気になれば往なすのは容易いことだが、面倒を起こして目立ちたくはなかった。
私の小さな躯は、相手の所有欲を刺激するらしい。組み伏して手に入れたいという色は、昔から私を見る目によく現れた。その自覚の有る者は好色に、無い者は優しさに走るが根は同じだ。
放課後に屋上で、と手紙で呼び出された。面倒ではあったが『あなたの噂に関する大切なお話があります。』などと書かれていては、無視する訳にもいかなかった。噂の内容にさっぱり見当がつかない。自分の知らないところで話が一人歩きするのは気分のいいものではない。事態の把握の為、私は屋上に向かった。昼間の青空は影を潜め、窓から見える黒く低い雲は私の足取りを酷く重いものにさせた。
「黒崎と付き合っているって本当?」
第一声でそう言われて私は思わず
「は?」と間抜けな声を出してしまった。また一護だ。うんざりする。いや、一護が悪い訳ではない。死神代行として傍を離れるなと言ったのは私だし、実際指令が出たら二人で授業をサボるのだから、いつも一緒だの付き合っているだのと言われるのは当たり前なのだ。
だがこうも立て続けに同じことを聞かれるというのは、私が何かおかしなことをしたということなのだろうか?
そう、今週この質問をしてきたのはこれで三人目なのだ。
「ええと、黒崎君とは親しくしていますが、付き合うとかそういう間柄ではありませんのよ。」
当たり障りのないことを言った…つもりだった。だがそれに返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。
「付き合っている訳じゃないってことは…」
突然身体全体に相手が覆いかぶさってきた。
「俺と付き合っても大丈夫ってこと?」
何でそんな展開になるかさっぱり分からなかったが、私は取り敢えず相手の腕を押し戻してやんわりと答えた。
「いいえ、今は誰ともそのような気持ちはありませんから。」
相手の手に力が入って、躯をぐいと引き戻された。
「…じゃあ朽木さんて黒崎とならやれるんだ。黒崎のセフレなの?」
一瞬何の事だか分からなかったが、男の熱を帯びた言葉と私の躯を這い回る手で 相手が欲するものは理解できた。
「それが私の噂なんですか?」
「校内でやってるって話だからさ、ちょっと興味あって。」
抵抗しないというのはまずい選択だったのか。先週一護が私にのしかかってきたところを見られたようだ。…何が誰も来ないだ。しっかり噂になっているじゃないか。心の中でオレンジ頭に毒づいたが、過ぎた事より今の状況を何とかする方に気を向けることにした。空気がべとついて重かった。
考え込んで動かない私の態度を相手は了承と取ったのか
「朽木さんて案外大胆なんだね。」
と制服の上から胸をまさぐり、首すじに唇を落としてきた。歯を立てられた感触に、一瞬躯の中でちりっと火花が散った。言いようのない衝動が走ったが、私はそれを自分の中から追い払い、息を飲んだ。
よくあることだ。たいしたことじゃない。
突然空が光った。その後あまり間を空けずに地を這うような轟きが響いた。それはこの場の空気を確実に変えた。男ははっと身を起こした。
湿り気を臨界まで含んだ大気からはぼつ、ぼつと大粒の滴が落ちてきた。再び空は青白く光り、みるみるうちに周り一帯に黒い染みが広がり始めた。
「う…わ! じゃ朽木さんまたねー」
男は去っていった。
またって何だ。私はあいつの名前も聞かなかったし、次に会っても顔など覚えていない。噂の内容が知れただけで良しとするか…。
しばらくぼんやり寝転んだままでいるうちに、夕立は本降りになって私の制服は重みを感じる位雨を吸ってしまった。髪も顔に張りついている。全く忌々しい。タオルはあっただろうか…とにかく一度教室に戻ろう。
少し肌寒さを感じながら私は階段を降りた。私の歩いた後にはしずくが滴って残った。血の痕のように思えるそれが酷く気になった。
070701