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鞄をおいたままの教室には人影は無かった。体育用のタオルは髪と顔を拭くとすぐにくしゃくしゃになった。上着は脱いで机の上に置いた。雨は小降りにはなったがまだ止んではいない。傘の無い私は夕立が止むまで帰りを遅らせるしかなかった。
一護には手紙の事は話していなかった。こんなに時間を食うとは思っていなかったし、少し調べ物をするから先に帰ってくれと言っておいたのだ。日頃傍を離れるなと言っている手前、帰ってからの奴の不満が想像できて、私は一つため息をついた。
窓の外ではまだ雨音が続いている。待つ間に、先程の話を思い返してみた。私は一護とやることをやって付き合っているという話になっているようだ。
それならそれで聞かれたら否定しないほうがいいのかもしれない。傍にいるのが自然なように…。しかしあやつはそれを了解するだろうか?
「何やってんだよてめーは。」
突然ドアが勢いよく開き不機嫌そうな顔が現れて私を見た。
「何の調べ物でそんなずぶ濡れになんだ? 図書室じゃなかったのかよ。」
「……先に帰っていいと言っただろうが。」
質問に答えない私に、一護は苛つきを隠さなかった。
「何やってんだって聞いてんだろ? 鞄置いたままだからすぐかと思ったら来ねーし。」
「…調べ物だ。おかげで私の噂というやつが分かったぞ。私はお前の『せふれ』らしい。
『せふれ』って何だ?」
分かっている。あんな言い方でも一護は私を待って心配していたのだ。だが、今の私には、それは酷く居心地の悪いものだった。
「あ? あーそりゃ… この前のか
…悪かった。」
「全くだ。お前らは、所構わず盛りおって…。少しは周りを見ろ。」
「おいお前らって、何かされたのか?」
「…見られてたようだぞ。乗ってきてな、先週のお前と同じことを」
「おまっ何でそんなんさせんだよ!」
「――お前がそれを言うのか?」
―同じことをしたお前が―
それは少し酷な言葉だったかもしれない。一護の表情が固まった。
自分の声が遠くの拡声器から聞こえるそれのようだった。
「…先週と同じ、途中で状況が変わって終了だ。大したことはしていない。」
ふと思い出し
「ああ、少し噛まれたな。野良犬のような奴だ。」
と首すじをさすって笑った。
「―――なんで…っ!」
一護は言い掛けた言葉を切って背中を向けた。
「雨、止んだな。帰るぞ。」
「ああ。」
抑揚のない返事になった。きっと二人とも苦虫を噛み潰したような顔になっていただろう。
歩く間、私も一護も無言だった。話せば刺のある言葉になりそうで口を開けるのがうっとおしかった。
私はいつもより何歩か離れて一護の背中を見ていた。
不意に一護が振り向き、目線がまともにぶつかった。
「…何だ。」
緊張を解こうと私から口を開いたが返事はなかった。代わりに視線がわずかに外れた。襟元を見ている。
さっき『噛まれた』ところだと気がついた。
なあ、何故そんな熱を帯びた目で見る?
お前がそうしたかったか? それを許した私を責めるか?
済まない、誰が何をしても同じなんだ。唯一人を除いてはな。
遠い昔の話だ。だが、私の契約はもう終わっている。何があろうと変わりはしない。私の心と躯のあるべき場所はあの時決まったんだ。だから私は揺らがない。たとえこの身が穢れようと、切り刻まれようと。
ましてや今、偽りの入れ物の自分には抵抗してまで守るものなど無いんだ。
「笑うなよ。」
一護の視線がきつくなった。
070701